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● 2000年12月30日・・・ ● |
< 原稿提供:rizal 写真提供: GASGAS > |
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西暦2000年12月30日。私のフィリピン歴の記念すべき?日です。 年取ると昔話が多くなるみたいだから自分も年とったって事かも 知れません。実際ご多分に漏れずいろんな事ありました。で今の 自分があるわけです。この日がなければまったく違う今日を迎え ていたと思いますね・・・。
年も押し迫った12月30日私は工期の 迫った現場で仕事をしておりました。昼頃下請けの社長のYから 電話があって今夜忘年会しましょうとのお誘いが。2軒ほど梯子 して3軒目に連れていかれたのはCというお店でした。少しギシギ シいう階段を2階に上がってカランカランとドアーを開けると鼻を つまみたくなる様な強烈な香水の匂いとエラッシャイマセー!と 妙な発音の挨拶。咄嗟に感じる違和感。案内されて少し薄暗い店 内を奥の方へ歩いて行きつつ先程の妙な発音の主を確かめるべく 目をやると、・・・??ニホンジン??・・じゃない・・みたい。
椅子に腰掛けYに「何ここ?」「フィリピンだ」「・・・・」正直 言って困惑しました。大学は英文科だったので白人は見慣れていた しインド料理は度々行ったのでインド人は慣れているがフィリピン 人ですか〜!丁度その頃に同じ地区で管理売春でフィリピンパブが 摘発されたニュースを耳にしていた事もあってフィリピンに対して あまり良いイメージはありませんでした。おまけに最初に隣に来た アグネスって娘は小さくて黒くて日本語は全然話せなくてハア〜っ て感じです。会話なんてあるわけないからやけに時間が長い。漸く 1時間程が過ぎて私の隣に来たのはリタでした。彼女は結構酔って いて崩れる様に座ってきました。「ゴメンネ、ちょっと酔っ払っち ゃったから」彼女は日本語も上手で肌も白くて目が大きくて綺麗で した。彼女とはすこし話して即されるまま電話番号を交換して、私 とYは店を出ました。正月明けて彼女から電話があって同伴しました 。当時は同伴ってなに?って感じでした。彼女に指定された焼肉屋で 待つこと30分、やってきた彼女は輝くように綺麗でした。その後私 は彼女にはまっていきました。
彼女がフィリピンに帰った時には電話 もしましたし色々プレゼントもしました。「私いい奥さんになれると 思うよ」本気で結婚も考えました。4月末頃が彼女の誕生日でその時 にHしてもいいよと約束しました。そしてその後どうなったか・・・誕 生日の1週間前彼女はバタンガスにいるお婆さんが倒れたから帰らな いといけないと電話してきました。私は誕生日にプレゼントするつも りで用意しておいたネックレスを持って会いに行きました。指定され た時間にです。彼女は大きな瞳から涙を流してハンカチで拭いていま した。私はやるせない気持ち抑え切れなくてウィスキーをがぶ飲みし ました。翌日彼女は私の前からいなくなりました。甘い思い出だけが のこりました。そしてリタの残像を求めるようにフィリピンパブ通い が始まりました。そして気が付けば今の自分があります。後悔はして いませんが感慨深いものはあります。
こんな話はよくあると思うし殊 更改めて書く程の事でもないかもしれませんが、どこに行ってもタレン トのいないこんなご時世ではこんな経験すら望むべくもないので、 ああ昔はよかったねなんて年寄りの昔語りしてみました。彼女とは その後音信不通です。今思えば不自然な事も多くて、多分彼女はアル バイトだったとおもいます。それに気が付くのに2年かかりました。 最近では一人で渡比しますしタガログも勉強しているので不自由しません が、そのせいかまったくもてなくなりましたね。そんなことで騙されま くった昔が妙に懐かしくてたまりません。 PAGE TOP |